ここでは過去の話、幼稚園卒園までを記します.
自分が障がい者と分かるまでの過程です.
もしかしたらあなたも、同じような経験をしているかもしれません.
その際は、ぜひご両親と過去を振り返ってみてください.
幼稚園までの記憶
記憶があるのは幼稚園の頃からです.
それ以前の記憶は全くありません.
写真は残っているのですが見ても思い出せません.
保育園には入らず、幼稚園に入園しました.
何故かは分かりません.
年少さんの時の記憶はありません.
年中・年長のときの記憶から発達障がいの特徴を引き出していきます.
みんながハマっているものを遊ぶ日々
幼稚園からトミカ・プラレールにハマる日々でした.
ほぼ一人遊びだったかな、と記憶しています.
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幼稚園には木材で作られたプラレールに似たような物がありました.
それを帰る時間まで永遠としていた記憶があります.
トミカは自宅に多くあり、こちらの方が多く遊んでいました.
幼稚園には無かった気がします…
おもちゃも沢山買ってもらって同じく永遠と遊んでいました.
トミカ・プラレールを遊んでいる際、自分はとんでもなく想像力を使っていました.
「〇〇なんよ〜」とか一人でつぶやきながら、色々と妄想を膨らませていました.
自分には弟がいるのですが、弟の方は上記のような事は言わなかったと思います.
一人ぼっちが続く
先程のトミカ・プラレールに続くお話です.
一人遊びだった理由は「父親が仕事で忙しかったから」
建築業界で働いていたので休日はありつつも、趣味の時間としていました.
その影響で遊ぶ時は「ほぼ」一人.
弟と一緒に遊んでいたような、遊んでいなかったような…
また、「友達」と言える存在は数えるほどしかいませんでした.
まず自分には「友達を作ろう」という発想がなかったかもしれません.
自分から話しかけることに「極めて」抵抗を感じていたのです.
話を振られてようやく話し始めるくらい.
会話は…そんなにできなかった、気がします.
共通の話題なんてないし、作る考えもありませんでした.
記憶のある時から自分の友人関係は「狭く深く」です.
「広く浅い」関係を構築する事は考えにありませんでした.
幼稚園でも遊ぶときはだいたい一人でした.
ブランコも、すべり台も、砂場も、夏のプールの自由時間も…
保育士の方と遊んでいた記憶はありません.
「絵を描く」のが雑すぎる…
幼稚園の頃から顕著だったのが「絵を描くことが苦手」な事です.
幼稚園に行って朝、
クラスルームに入ったら自由帳に好きに絵を描いていました.
おそらく想像力の向上を狙っての事だと考えています.
自分はほとんどが、適当にぐるぐると円を描いていた記憶があります.
好きな色のクレパスを手にとって、握ってグリグリと…
まさしくこんな感じです.
でも当時、鉛筆の持ち方は習得していなかったと思います.
加えて、
- 色の使い分けがよく分かってない
- 図形は書けるけどそれ以上はできない
そのため、顔などどう描いたらいいか分かりませんでした.
本に出会う
通っていた幼稚園には、小さな図書館がありました.
絵本ばかりだった記憶があります.
定期的にクラスのみんなで行って、借りていました.
時には、保護者も一緒に行った記憶があります.
毎回数冊借りていたのでその時から本、
読書が好きだったのかもしれません.
読む本は電車関連ばかりだったと思います.
それを見て楽しんでいました.
かわって、自宅には「書籍」と呼べる本は数えるほどしかありませんでした.
代わりに父親の漫画が多くありました.
しかしそのほとんどが幼稚園児には手が出ない大人物ばかりでした…
前転で「大人数に」笑われる
年長さんの時、劇の発表会で強く記憶に残っている事があります.
発表会なので、当然保護者の目があります.
忍者のコスプレをして登場するのですが
ほとんどの園児が側転ができていたのです.
自分の前の子も側転して「おぉ〜」という拍手が起きていました.
自分は前転しかできなかったので前転で登場したら、
多くの方が笑っていました.
「ははは…」
これがものすごく苦しかったです.
当時は運動がものすごく苦手で、かけっこは常に最下位.
側転は練習してみたものの、最後までできませんでした.
悔しくて悲しくて、泣いた記憶はありませんが辛い思い出です.
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